奥州白石の礎『片倉小十郎景綱公』の菩提寺

臨済宗妙心寺派常英山傑山寺

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常英山傑山寺本尊について

本尊

ご本尊の「釈迦如来」

釈迦如来

常英山傑山寺の本尊は拈華釈迦如来立像です。 「拈華微笑(ねんげみしょう)」 お釈迦様が晩年仏法を次の代に御譲りしようとお考えになり、霊鷲山に弟子達を集め、黙って一本の華を拈(ひね)ったところ、大衆はその意味を理解することができず沈黙していました。 ただ一人迦葉(かしょう)尊者だけがその意味を理解し微笑したため、迦葉尊者に仏教の法門を伝えました。 その時のお釈迦様のお姿を本尊としております。

脇本尊の「魔訶迦葉尊者」

魔訶迦葉尊者

(拈華釈迦如来立像に向かって右側)

迦葉尊者(マハーカーシャパ・大迦葉・魔訶迦葉)は頭陀業第一(ずだぎょう)といわれています。 頭陀業とは衣・食・住に対する執着を払いのけるために実践しなければならない行で、例えばボロで作った衣を着なければならない『著幣衲衣(じゃくへいのう)』という行では、お釈迦様からもらった糞掃衣(ふんぞうえ)をまとった生活をしました。 あるいは、常に托鉢して歩き『常行乞食(じょうぎょうこつじき)』、布施されたものを一日一食だけ摂って生活する『受一食法(じゅいつじきほう)』という行も、その通りに実践しました。 迦葉尊者は出家してから生涯を終えるまで、このような頭陀業を実践しました。

脇本尊の「阿難尊者」

阿難尊者

(拈華釈迦如来立像に向かって左側)

阿難尊者(アーナンダ・阿難・阿難陀)はお釈迦様の従弟で多聞第一と称されています。 お釈迦様の教えはご自身が文字にして書き留められた文書の形で残っていたわけではありません。 お釈迦様の説法を聞いた弟子達は、それぞれの記憶に留めていました。 お釈迦様入滅後、その教えがバラバラになってしまい、勝手に解釈されることを恐れた魔訶迦葉尊者は、お釈迦様の教をまとめる会議(第一結集)を開きます。 会議には悟りを開いた弟子が参加します。 しかしその頃、阿難尊者はまだ悟りを開いておらず、阿難は出家して25年間、お釈迦様の侍者(世話役)として常にお釈迦様のそばに仕え、行動を共にし、直にお釈迦様の教を聞いておりました。 弟子達は、多聞第一の阿難尊者抜きでは教えをまとめることが出来ないと思い参加を求めましたが、阿難尊者は悟りを開いていない自分が参加することをためらい、苦しみ続けていました。 夜も明け、いよいよ会議の開かれる日、ついに悟りを開くことが出来、会議への参加を認められ、経典をまとめることが出来ました。 今の経典の原点は阿難尊者あってのことです。また、女性の弟子尼僧教団をお釈迦様に認めさせたのも阿難尊者の功績です。

※迦葉尊者・阿難尊者とも合掌のお姿ではありませんが、内陣の白い壁に映る影は、お二人とも合掌しているお姿に見えます。

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本尊の周りにある四天王

西方
広目天
広目天 多聞天 北方
多聞天
南方
増長天
増長天 持国天 東方
持国天

四天王は欲界の六欲天の中、天に住む仏教における4人の守護神です。 六欲天の第一天に住む帝釈天に仕え、その中腹で伴い仏法を守護しております。 東方には持国天、南方には増長天、西方には広目天、北方には多聞天(毘沙門天)が四方をお守りしています。

※この四天王を寄進されたのは、教区女性会初代会長の樋口ときえさんで、ご自身が百歳を迎えられたのは、仏法僧の教えの賜物で、亡き後も檀家さま初め、皆様方と共に仏道を信じ、お守りしたいとのお気持ちで寄進されました。

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